老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

不安教信者は本当の最悪を想像できない

福島第一原発事故以降、「放射脳」と言われ揶揄され続けてきていた放射能(線)恐怖症の人たち。
精神医学的には立派に「強迫神経症」に部類されるだろうこの方たちは、とても気の毒な方々です。
まあ、精神病全般に言えることなんですが救いがないというのが一番気の毒なわけです。

溺れかけている人にロープを投げ込みます。普通は「はっし」とつかまることでしょう。しかし、不安教信者の人は「このロープは本物だろうか?つかまったら切れやしないだろうか?」と悩み、ロープをいつまでもつかめず、「溺れるー!誰か助けてー!」と言い続けます。

なんと気の毒なことではありませんか。

こういうことにならないよう、当ブログでは「自分自身の体が気持ちいいと感じるかどうか」で判断するように(神田橋先生のパクリですが)言っています。口から血が出るということを過剰に怖がっている人もいました。結局のところ、救いは「諦められるかどうか」にしかありません。

不安教信者は確証を求めます。
しかし、この世のどこにも確証はありません。
確実なことを一つ申し上げるとしたら、それはあなたや私がいつかは死ぬ、それ以外にありません。
いつかは死ぬ以上、死は最悪の結果ではありません。
「永久に死なない」ことが決定することのほうが、よほど最悪の結果です。

いつか死ぬことが確実である以上、死ぬことはさして重要なことではありません。
今死ぬか、先に死ぬか、それだけです。
金持ちも貧乏人も、役人もニートも関係ありません。皆等しく死にます。

あなたは待ち合わせに5分遅れてきて、ふてくされる相手に言ったことがありませんか。
たかが5分くらいいじゃないかと。それと同じです。
5分後に死ぬとわかったとしましょう。今すぐ死んだほうがましと思いますか。5分でも精いっぱい生きようと思いますか。

どちらにしても5分は5分です。

この5分が1年になろうと40年になろうと100年になろうと、基本的には同じことです。
死は最悪の結果ではありません。

最悪の結果は、いつでも「今生きながらえている命を、不安な気持ちで生きる」ことにほかなりません。
1秒後に死ぬかもしれません。この1秒は笑って生きましょう。

そういう話でした。