老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

お金をたくさん稼ぐことだけが「意識が高い」のか?

私の父は工場職人でした。

職人(しょくにん)というとビフォーアフターでいうところの匠(たくみ)みたいなイメージです。自分の頭と手で物を作る人のことを私は総称して職人と呼んでいます。

自分の頭と手で、というのは設計図面の通りではなく、設計図なしにものを作れることを意味します。なので、トヨタのライン労働者は「労働者」であって「職人」ではありません。むろん、中には職人的な技巧を有している人がいるのは分かっています。しかし、会社としてはごく少数の技巧的労働者よりも、平均的な技術を有する労働者(設計図通りに物を作れる人)を優遇するでしょう。

職人的技巧を持つ労働者に対して十分なインセンティブが与えられる会社をほとんど見たことがありませんし、実際いないだろうからです。

私の父は工場職人としては標準以上の評価を得ていました。なので重宝されて使われてはいましたが、給与はまあ平均的なサラリーマンでいうと中の下といったところだったと思います。父は当時月給30万円(ボーナスなし)で働いていましたが、私が同額の給与をもらうに至るには40の声を聴かなければならなかったことを考えても、そこそこもらってはいたと思います。

父の口癖は「公務員になれ」でした。私も職人気質なのでモノづくりをしたいという気持ちが強く、大工や左官に憧れたりしました。しかし、持ち前の不器用さからこういう職業は向かないと悟り、ITエンジニア(不器用でも勉強すれば「ものづくり」ができる)を目指しました。結局とある大手製造業に就職し、公務員ほどではないが安定し、給与もそこそこの待遇だったので、父には「まあまあやな」と言われたのを覚えています。

(当時、なにが「まあまあやねん!」と私は憤慨しましたが、全く、今振り返れば「まあまあ」です)。

今になって振り返ると、父の言葉の真意がわかります。父は、公務員のように冬は暖房、夏は冷房の効いたオフィスで座っているだけで、汗水たらして働いている職人よりもたくさん給料がもらえる職業に就け、と言いたかったのだと思うのです。職人は割に合わないということを言いたかったのだと思います。

そう考えると、最近の「意識高い系」の人たちの言っていることの、先駆者と言えるのではないでしょうか?余談ですが、父は経済が好きで新聞を読むのが趣味でした。しょっちゅう「これからデフレの時代になる」と言っていました。デフレになったかどうかというのは、10年スパンで振り返らないとわからないことです。はたして、今振り返れば日本は過去20年以上にわたってデフレであったと言われています。父の予言は大当たりだったのです。公務員になれというアドバイスも、大当たりだったのです。

若かった当時の私には父がまた竹村健一に洗脳されてなんかゆうてるわ、くらいにしかとらえることができませんでした。

まさに、父は元祖「意識高い系」、「自分の頭で考える」人だったのです。そんなことがわかったのは父の死後10年以上も経過しようという最近のことです。

ちなみに、私は息子には宮大工や伝統工芸の職人になれ、というつもりです。息子の私にの不器用さを思えば難しいかもしれません。父も同じように思っていたかもしれません。ですが、私は不器用さは乗り越えられるということをこの半生でで学びました。

お金を稼ぐことだけが意識が高いとは、私は今でも思っていません。
そして多分、父もそう思ってはいなかったと思います。