だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

理屈がわかってても感情的に納得できないことがある

最近女性ブロガーが増えているのは、いいことだと思います。それは、論理ばかりが支配的であったネット論壇に、非論理を持ち込むと言うことだからです。

女性は論理的ではありません。

これは女性蔑視ではなく、特性の問題です。人類が営々と営んできた中で、男は論理的であるほうが種の生存にとって有利な選択であり、女は非論理的であることが種の生存にとって有利な選択であった、と言うことなんだと思います。

男は、小さい赤ちゃんを見てもかわいいと思いません。しかし、女は小さい赤ちゃんを見ると無条件でかわいい、守ってやりたいと思います。そこに理屈はありません。利己的遺伝子などの理論をもってしても、それを説明することは困難です。利己的遺伝子(遺伝子は自分自身のコピーを守るために行動を起こす)の理屈から行くと、他人の赤ちゃんをかわいいと思う感情がなぜ発生するのか、まったく謎です。

以前から、私はこのブログで「自分と正反対のものをこそ理解する努力が必要だ」といっています。大人の男の私にとっては女性である妻や子供である息子は正反対の存在です。だからこそ、それを理解する努力が必要だと思っています。

そして、この「自分と正反対のものを理解する努力」と言うのは、いままで自己の能力を研鑽してきたメソッドとは「正反対の努力」を要求されるのです。いままで論理の牙を研ぎ続けてきた人間であれば、非論理というメソッドは何か?ユングによると感覚・直感・感情などと言う能力なのだそうですが、いままでの努力の延長線上には存在しないのです。

いままで、東に一生懸命歩いてきた人なら、西に向かって歩き出さなければならないのです。私も、昔は理屈屋でした。何しろ男ですからね。なので、ネット上で出くわす「理屈屋」の論客は、ある種自分の過去の姿です。そこに新鮮さを私は感じません。

むしろ、魔法とか錬金術といったものの方に新鮮味を感じるのは自然なことなのです(少なくともユング心理学的には)。アニメでも、一時期超科学ものSFが人気でしたが、今はファンタジー系が人気です。それにはそれなりの意味があります。女はいつの時代も男にとっては魔女です。これを理解しようとすることは、自分自身の幅を広げるための「女性理解」の役に立つだろうと私は思っています。

こういう方向性のブログというのは、いままであまりなかっただろうと自分では思っています。新しい分野だからブルーオーシャンだとかそんなけち臭いことを考えているつもりはなく、単に自分の人生の方向性を言葉にしたらこんな感じになる、と言うことに過ぎません。

これ、芸人の世界ではすでに一般的で一定の支持を集めているジャンルなんですよね。いわゆる「おネエ系」です。そう、私はおネエ系のブログを書きたいのです(ちなみに私はマツコデラックスを尊敬しています)。

とはいえ、女性になりきってブログを書くとそれは「ネカマ」になってしまいますので、文体は男で行きます。しかし、論理的にやり込められてもそんなことは知ったことじゃありません。おネエ系に敵はないのです。

だからといって、理屈屋がたまに使うようなネチネチした「女の腐ったような」(id:chochonmageがたまに使うような)ことはやりたくありません。あんなのは小学校女子レベルのやり方に過ぎず、人間の魂の進歩と言うものからは大きくかけ離れています。

論理の奴隷たちに、一寸の光陰を与えるために。