よく田舎だ都会だといったことが議論になります。かく言う私も田舎論には割と熱心なほうです。ひとつには奈良県出身ということで、奈良県は割と田舎です。なので都会に対してちょっと劣等感のような感情があります。一方で、憧れのような感情もあるのです。こういうのを、心理学ではコンプレックス(いくつかの感情が入り混じったものという風な意味)というそうです。
いわずと知れた大都会は東京です。大阪も割と都会です。なんてことを言っていて、はて、いったい何を持って都会なんだろう?と立ち返って考えてみるわけです。
そういう風に考えるにいたった背景には、もちろん福岡に転居したということがあります。私の中で福岡に与えうるもっとも適切な称号が
日本でもっとも大きな田舎
です。
最近になって私の仲で何をもって田舎なのかの基準が最近では割とはっきりしてきました。それは一言で言うと排他性です。よそ者を嫌う文化です。わかりやすいたとえで言うと、よそ者がそのムラにやってきたときに、あれがない、これがないと文句を言ったとします。そのときに
そんなに気に入らなければ帰れ! というのが田舎者
あなたのムラにはそういうものがあるのですか? と取り入れるのが都会者
です。
田舎者は、郷に入れば郷に従え、ということわざをよく引用します。しかしこれは、実は誤訳なのです。正しくは、郷に入ればまず郷に従え、というのが正しい訳です。(なんてことをビジネス英語かなんかで習った気がする)。
違う場所に行ったのに、いきなりいままでの自分のやり方を振りかざしていればそれはそう諭されるのも仕方がありません。しかし、ある程度「郷」のやり方を理解したうえで、自分の過去の経験からこれはあったほうがいいというものを提案することは、可なのです。
それを、よそ者が言っているというだけの理由で頭ごなしに拒否反応を示す、保守的な人のことを「田舎者」というのです。
まあ、もっとも海外(韓国・中国)に近い位置にあった福岡には、いろいろと過去の経緯があるのでしょう。人間でも、体の表面に近い皮膚は強力なバリヤで守られています。一方、体の中に入ると意外と防御が甘かったりします。これは、体の表面はとりあえず入ってこようとするものはとにかくはじくという性質を持っているからだと考えられます。
九州も、たぶん同じなのでしょう。元寇があったり、出島があったり、西南戦争があったりなんだかかんだか。とにかくはじかないといけなかったということなんでしょうな。鎖国の名残といえなくもなさそうです。
ここでは、私の思う「田舎者」の定義を述べさせていただきましたが、どちらがいいとか悪いとか、そういう議論はいまのところ準備不十分に付きできません。
将来的には、みなが「都会者」のマインドを持つことで、人類はもっと発展していけるのではないかという気がしてはいます。
とはいえ、この天下の「はてなワールド」ですら、ちょっとうっかりほうっておくと田舎化してしまうのだから、なかなか、日本人は油断できませんね。