老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

SIerに就職しなかったのはやはり正解だったかもしれない

俺は大学でコンピューターの勉強をしていた。20年以上前の話だ。

そのころは大学でコンピューターを勉強するという連中自体が珍しかった。京都コンピューター専門学校やらHALやらが続々と設立されたころ、関西の2流私大で細々とコンピューターの勉強をしていた。

そのころ、工学部では就職活動はほぼ必要なかった。特別推薦枠というのがあり、学科の定員内でありさえすれば試験勉強も面接対策も何もせずに一流企業に就職できた(たぶん、今俺の卒業した大学から一流企業に就職するのは難しいだろう)。エスカレーター式というヤツだ。がんばって勉強して公務員試験やら教員免許を取っているヤツもいたが、そんなヤツはごくまれだ。

まあ、4年で卒業するにはそれなりの試験対策が必要で、そこそこ苦労もした。少なくとも文系の連中みたいにテニスサークルや毎日コンパでワイワイという雰囲気ではなかった。とはいえ、それなりに楽しく過ごしていた。

コンピューターが好きだったし、友達とつるんでコンピューターセンターのシステムの上で動くプログラムを作ったりして遊んでいた。時代が時代なら、ホリエモンは俺だった。

学生起業なんて概念もなかったし、工学部である以上特別推薦で就職しないと損みたいな考えもあった(不毛な就職活動に労力を裂くくらいなら面白いことをしていたいと思っていた)。

そのころは就職サイトもなかったから、特に疑問も抱かなかった。そこに、伊藤忠テクノサイエンスやら新日鉄情報システムズとかから斡旋の書類が届いたりした。ちなみに、特別推薦には富士通枠が結構多かったのだが(大学が富士通のスパコンを使っていたから)、不人気だった。富士通では確実にSEになれるが、3年くらいで心を病んでやめる人が多いという情報があったからだ。

俺はプログラマーになりたいとは思っていたが、基本的に怠け者なので(怠けるためにプログラムを作る)そんなしんどいのはイヤだと思った。

短絡的に伊藤忠=滋賀県、新日鉄=小倉みたいなイメージがあったので「そんな遠いところにはいけへんがな」と思っていたのもあった(ちゃんと調べていない)。

コンピューターサイエンス系の学生自体が少なかったので、余裕で就職できたことは想像に難くない。そして、病気で倒れたりさえしなければ今頃割と出世していただろうと思う。

でも、俺は製造業に就職した。何か、いいものを作って提供したかったんだろうな。そのために、プログラミングの力を生かしたかった(あまり生かせず)。今でもそのマインドだけは残っている。

一時期、プログラマーになれなかったことがとても不満で、何であの時就職案内をちゃんと読まなかったんだろうとか思ったりも下が、今ではそれでよかったような気がしている。