老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか

なぜ研究者は小保方さんに厳しいのか: 異端的考察

いろいろと納得する点はある。また、「研究」というムラに関する構造が垣間見えるのは、その枠外にいる者にとっては大変興味深い。しかし、この論でいいたいことはおおむね以下のたとえ話に集約されるのではないだろうか。

Aさんは、医学部ではないですが医師になりたいなと思っていました。ある日、「1年間の講習であなたも医師になれる」という「医師教室」の宣伝を見つけ、これを信じて多額の授業料を払って時間を費やし、1年後にAさんは医師免許をもらいました。
ところが、その「医師教室」は全くの詐欺会社だったのです。講習は医師に必要な技能とは全然関係ないことしか教えてなく、発行された医師免許は、医師免許の発行機関の内部の人間に裏金を渡して不正に発行させていたものでした。Aさんは、折角お金と時間を費やしたのにこんなことになってしまい、途方に暮れてしまいました。

さて、Aさんは詐欺会社に騙されてニセの医師免許をつかまされたわけで、この例ではAさんに同情の余地はあっても、医療類似行為で訴追されることはまぬかれない、ということは誰でも理解するだろう。

しかし冷静に考えてみて欲しい。小保方博士は、ちゃんとした日本の大学(早稲田大学)を卒業し博士課程を修了し、ちゃんとした日本の学術機関、理化学研究所でちゃんとした査読を経た論文を認められ博士号を与えられたのだ。

上記の例ではAさんを騙したのは「医師教室」という詐欺会社である。博士号という一般人にわかりにくいものを医師免許という比較的理解しやすいものにたとえて表現しようという努力は認められるが、このたとえは適切ではない。

なぜなら、医師免許にたとえるなら小保方博士はちゃんと医学部を卒業して所定の課程を全て修了し医師免許を与えられた者だからだ。

NATROMさんもたまに似たような詭弁を用いるが、国家免許保持者ではこういう詭弁は日常茶飯事なのであろうか?例えに出された例は無論、反駁の余地がないくらい不適切なものだが、たとえ方そのものが不適切(よく言って不正確)、という話である。

俺様は研究者で論理的思考がスゲーんだZe!といいたいなら、もうちょっとちゃんとした例えをすべきではないかと思う。

ちなみに、小保方博士擁護派ではない。