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だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

会社一ワークライフバランスの取れた俺が、ブラック企業を語る!

ワタミが「社員は家族」というならば、後藤真希さんのように振舞えるのか? - 榊 裕葵 社会保険労務士

うむ。

わかる。

いや、俺にはわかるというべきだろうか。

逆に言えば、渡辺美樹氏をはじめ、いまの50~60代のシニア世代に上記のエントリは、たぶん全く響かないだろう。一回り上の俺の上司(某上場企業取締役)も、ワーカホリックだ。

ワーカホリックの困ったところは、「仕事あっての家族」と思っているところだ。まあ、そういう人たちもいたおかげで日本経済は支えられてきた面もあるので、一概にバッサリというわけにもいかないとは思っているが、俺は「家族あっての仕事」と思っている。なので、家族の重大事があれば仕事に平気で穴あけまくる。子供の運動会でも有休取る。俺たち世代はそんな感じだが、すぐ上の(上司の)世代がそういう身も蓋もない仕事人間であることが多いため、泣く泣く、止む無く、仕事させられているというのが実態である。有休取るときも「子供の運動会」だと了解してくれないので「急病」と偽らないとダメとかいうこともある(上司のキャラにもよるが)。

なので、たぶん榊裕葵氏の語る「家族」と、渡辺美樹氏の思う「家族」は、まるで別物だ。

これは、俺は違うので想像でしかないわけだけど、渡辺美樹氏は家族団欒なんて全くしてないだろうと思う。当然、どこかの首長みたいに育休を取ったこともないだろうと思う。彼にとって、家族とは「妻が良きに計らっておいてくれるもの」に過ぎない。カネさえ入れておけば、普段は何も省みなくても、いざというとき(たとえば自分が入院するとか)面倒を見てくれる、そういう存在に過ぎない。

仕事を通して自己実現を図る「自分」という存在を後押しし、余計な要求はしないのが彼にとっての「家族」なのである。サポートはすれ枷になるなどあり得ないのである。妻が不治の病に倒れればどうなるかは知らないが(ま、ワタミの介護サービスもあるしな?)。

なかなかに徹底した自己中心主義者である、といってもいいだろう。

 

そう考えると、彼がワタミ社員に対して「家族のごとくあれ」というのは、至極もっともな要求である。要は「滅私奉公せよ」というのを言い換えたに過ぎない。明治時代的家族観における「家族」である。

見ようによっては、彼も時代の犠牲者である。家族の、この言いようもない心地よさ、温かみを全く知らず、会社を大きくすること、儲ける事にしか生きがいを感じられないなどとは、私からみれば気の毒にすら思える。