だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

フェミニストは女性の地位改善のために本当に何をすればいいのかがわかっていない

最近たまに「女性蔑視」「性差別主義者」と罵られるのであるが、むろん自分ではそんな人間ではないと思っている。

で、なんでそんな風に思われるのかということを考えたところ、俺は「性差は当然ある」という立場に立っているので、その辺がフェミニストといった類の人種(あるいは、時代の趨勢になりつつあるフェミニストにもてはやされたいモテない男)の鼻につくのではないかと思った。

最近そういうエントリがあったのでついでに取り上げるが、「平等論」をこじらせた議論(と呼ぶのもつたない)話があった。


私がはてブで突っ込んでいるようにこれは(おそらく意図的に)「機会平等」と「結果平等」をごっちゃにして論じられた、一種のシニカル表現である。

たとえば、宝くじを考えてみよう。

宝くじを買う自由は誰にでも平等に与えられている。(機会平等)

AさんとBさんが宝くじを買った。(結果不平等)

Aさんは当たった。Bさんは外れた。

これをもって、「不平等だ!」と叫んでいるわけだ。

「運のいい人だけ当たるのはずるい!」

もっと言うと

「運のいい人と悪い人がいるのは不平等だ!全員の運を同じにしろ!」

ということになる。

 

当然そんなアホなことは無理だ。与えられているのは「宝くじを買う自由」という平等、つまり「機会平等」である。

宝くじが当たる平等までは当然保障されない。これをもって「なんて不公平な世の中だ、俺は世の中に絶望した」と言うのは勝手だが、いわゆる「法の下の平等」とか言うのは、あくまで「機会平等」のレベルであって結果平等を保証するなどという社会はおそらくいままで存在しなかったし、これからも存在しない。

 

こんな話は全然関係ないわけだけど、女性の地位改善とかいうけど要は女性の給料が男性に比べて安いということが問題なわけである。で、その理由を俺は知っている。女性の多くは「労働力のダンピング」をしているのだ。

たとえば、家事育児。これはまじめにやるとかなりの労働だ。自分がやるなら時給3000円は要求したい。これを多くの専業主婦はタダでやっている。

「働く女性」とやらは、保育園に預けたりしてこの「育児」の労働力を一部行政に肩代わりしてもらっている。行政が肩代わりする「育児」の労働力も、やはりダンピングされている。法律で保育料が決まっているから、正当な対価を利用者(親)に請求することは難しい。園長とかの中抜きもひどい。

現場の努力でがんばってはいるが、先立つものが入ってこなければそのうち立ち行かなくなることは明らかだ。

結果的に保育所はブラック職場と化す。保育士というのは男性の「結婚したい女性の職業」トップ5にランクされるような人気っぽい職業なのに、なり手がいない。給料が安いからだ。

 

なにがいいたいかというと、結局「安すぎる保育料」がいけないのである。

安すぎる保育料が専業主婦の家事育児労働を過小評価し、家庭内での女性の地位を下げる。結果、社会的な女性の地位も下がる。

その元はどこかというと、結局のところ厚労省とか文科省といったお役所が原因である。保育料を安くし、誰でも彼でも全員預かりますよというならいい。水際作戦で待機児童を量産し、一部のワーキングマザーだけ不当廉価な保育料で子供を預かり、結局「保育」というものの市場価値を下げ続けていることそのものが、女性の地位を脅かしているのだ。

保育料が上がれば、男も休んで育児を手伝うインセンティブが上がるし、保育園職員の給料も上がるし、全体的に女性の地位も向上することになる。

 

このように、女性の地位向上はまず日本における「目に見えない価値創造」に対する買い叩き(ダンピング圧力)とセットで語られなければならないのではないかと思っている。これは、ソフトウェア業界や派遣の低賃金などについてもいえるのではあるまいか。