老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

怒りを表明することの意味について

どっかの社長が「激怒」を公表して大騒ぎです。

私も論争に加わってしまい、マンマとしてやられた感じです。

冷静になって考えれば、「怒ること」と「怒りを表明すること」は別物です。

通常、人は怒ってもその怒りを表明しません。

怒りを表明することは、生存戦略上決して有利なこととは言えないからです。

あえて、怒りを表明するにはそれなりの理由があるのです。

テメーの敗因はたった一つのシンプルな理由だ。「テメーは俺を怒らせた。」

うーん、しびれる。こんなこと一回言ってみたい。

多くの人は、「威嚇」の意味に捉えていたみたいです。

しかし、実は強者は怒らなくても他に威嚇の手段がいくらでもあるのです。

訴訟をちらつかせるとか、合法的に威嚇する手段はいくらでもあります。大きな会社には顧問弁護士がおり、自分は何も手を汚さずに法的手段をとれます。そして、そ鵜言った手段の方が効果的でしょう。

なので、「怒りを表明する」のは合理的ではない行動だと私は思います。労働者が会社や既得権社に対して怒りを表明するのがある程度合理的かもしれませんが、その逆は今回の騒動を見ても分かる通り逆効果です。

多くの論客が、その意図をうまく理解できないまま炎上マーケティングを助長してしまっていたのは面白い現象です。非合理的な行動を合理的に擁護しようとしてチグハグな主張をしてしまい、へんてこな論戦を繰り広げてしまいました。

で、私の見解としては、今回のこの社長の行動は「カタルシス」であると思います。

私は時々やるのですが、ムカつく相手に考えうる最悪の報復を考え、文章にしてしまうのですが、以外と書き終わる頃にはスッとしています。

(意外でしょうが、このブログも書きかけた記事の半分以上はそのまま消しています)。

今回は、この「カタルシス」がタイミング悪くネット上に拡散してしまったのだろうと推察します。

「怒り」は非合理的な感情ですから、合理的に説明がつかない。

優秀な経営者であれば、その「怒り」ともうまく折り合いを付けていかねばなりません。

そのために「カタルシス」はとても有効な戦略ではないかと思います。