だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

「治療」と「養生」

病気を治すには2つのフェーズがある。「治療」と「養生」である。

このうち、後者の「養生」はあらゆる病気の快癒に不可欠な概念であるにもかかわらず、現代ではないがしろにされがちである。

それは、現代医療に起因する。現代医療の大半は、前者の「治療」というアプローチを突き詰めたものである。端的に言うと、現代医療とは「治療を売るもの」である。

「養生」は金にならない。基本的には「何もしない」ことが「養生」となる。従って金がなかなか取れない。特に日本においては、目に見えないものに金を払う人が少ない。アメリカなどでは目に見えないサービスにお金を払うマインドが一般的である。だからGoogleやFacebookというソフト会社が大儲けできる。日本で、これらの会社に披見するほど大儲けしたソフト会社はいまだ存在しない。

たとえば擦り傷をしたことを考えてみよう。たまに「つばをつけておけばなおる」という医者がいるがたいていはその通りで、何もしなくても自然に快癒する。これが「養生」である。病気・怪我の快癒において「養生」は必須であるが「治療」は不可欠ではない、というひとつの例である。

次に動脈に達するほどの刺し傷のことを考えてみよう。この場合、「治療」つまり止血などの行為が必要となる。しかし、治療が出来るのは止血や縫合までであり、快癒するためにはその後の「養生」が必要となる。入院すると言う形で「養生」を病院が支援するケースもあるが、よほどの大怪我でなければすぐ退院させられ自宅で養生しろとなる。なぜなら、「治療」する事がなくなり「養生」だけになると病院が金を取れないからだ。日本の法律で「治療」には金をとってもいいが「養生」には金を取ってはいけない(正確には違うが)となっているからだ。このため「養生」の指導をする人が少なくなる。なので正しい「養生」が出来ず病気をこじらせたりする。

個人的な見解では、精神科の病の大半には「治療」が必要ない。必要なのは正しい「養生」だけである。しかし上記の構造の通り、日本の病院ではなかなか正しい「養生」が出来ない。認知行動療法、作業療法などはその中の数少ない「養生」の指導である。しかし「治療」に類する精神薬の投与が主眼として行われてしまう。結果、病気をこじらせるケースが後を絶たない。

このような日本国医療の世紀末的状況の中において、現役の精神科医によって書かれた「精神化養生のコツ」は類稀なる著書と言えるだろう。

「養生」を自らの守備範囲としつつオカルト医療を揶揄する現役医師による言説には全く感心できない。いったい、このような医師は「養生」の重要性を認識できているのだろうかと思う。あるいは、「病気の快癒」などそもそも眼中になく「治療」によりいかに金を取るかしか考えていないのかとさえ思わされる。

オカルト医療や統合医療といったものは、そういう現代医療に欠落している「養生」の概念を保管するものとは考えられないだろうか。

たとえばホメオパシーである。効果がない「レメディ」を高価で売りつけるとあり意思には大変不評である。しかし、上記した「精神病患者が薬物による『治療』により病気をこじらせ場合によれば自殺する」というケースを考えてみては同だろう。この患者がレメディによる治療を選んだ場合、効果はないが副作用もないはずであるから、薬によって病気をこじらせるリスクを下げたとはいえないだろうか。

なかなか「治療」重視の風潮は変わることなく、実は「治療」より重要な概念である「養生」が認知度が低いままである現状において、こういうオカルト医療は一種の「必要悪」になりえるのではないかと考えている。