だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

奨学金と貸主責任

奨学金と自己破産のニュースが流行りである。

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奨学金という名前が悪いと言った主旨のブコメを私はつけていたが、少々趣が変わってきているので珍しくエントリにすることにした。じつは、私も奨学金を借りた身である(返済済)。

もともと、奨学金は名前の通り単なる学資ローンとは異なるものだった。私が借りた頃は日本育英会奨学金第一種と言う名称で、連帯保証人は必要なく、通常の借金と異なり返済できなくなっても自己破産までする必要はなかった。このため「逃げ得」となっており、またこのため奨学金の原資が不足し、新たに奨学金を貸し出すことができなくなりつつあるという話であった。数年前にはこれが社会問題となり、私も奨学金をちゃんと返すように啓蒙したりしていた。

そして、結果として通常の債権と同じように最終的には裁判所を経由して差し押さえなどを行うという、通常の貸金業と同じような形態になった。上記記事の永江氏が大きくミスリーディングしているのは、奨学金というは上述の通り最初から学資ローンだったわけではなく、社会福祉の一環だったことは間違いがなく、それがいろいろな変遷を経て現在のような形態(サラ金と同様)に落ち着いている。

永江氏の論点に決定的に欠けているのは、この「奨学金制度の水面下での変化」を批判しているのか、はたまた「金を返さない学生」を批判しているのか、「サラ金そのもの」を批判しているのか、そのへんが判然としていないことである。

また、上記記事で触れられている連帯保証人の件については、実は重要なポイントである。通常の借金は、相手の返済能力に対してカネを貸す。したがって、最近半年の月収はいくらか、担保に差し出せる物件を持っているか、そういう点を探る「審査」が行われるのが普通である。そして、その一環として「人質」を差し出させることが日本では普通になっている。この人質のことを「連帯保証人」というわけだが、金融屋がとりっぱぐれの内容に極めて非合理的な義務を負っている。

お金を借りた人は、現金を手にすると同時に、返済義務を負うわけだが、連帯債務者は、何も手にしていないのに返済義務だけを負うのである。これは「人を借金のカタに差し出す」という人身売買にほかならず、日本国憲法を真面目に精査すれば違憲である可能性が極めて高いおかしな業界慣行なのである。

このおかしな決まり(契約)が、日本の金融業界ではまかり通っているのが現実であるが、果たして「奨学金」がこのおかしな「別業界」(教育業界⇔金融業界)の「違憲な慣行」を取り入れる必要はないのではないだろうか。

奨学金は仮にも、その人物の勉学を援助するために貸し出すためのものである。返済できないこともある。これはどの借金でも言えることであるが、奨学金の場合本人が返さないと意味がない。本人が死亡するケースなどは保険などで賄うのが本来であり、「本人が死んで返せないのなら、親兄弟が返せ!」などというのはヤ○ザまがいの金融業だけが許された所業ではないだろうか。

実際、奨学金の貸し倒れ率は1%未満という低水準だということだから、免責事項をもっと拡充し(例えば、現在でも教育業に従事すれば減額されると言った制度があるのだから)、適切な保険を使うなどすれば給付水準を下げることなく、制度の運用も続けられるはずである。

破産すれば返さなくてよくはなるが、日本は一度破産した人間が再びのし上がれるような社会ではないのだから、仮にも「人間が成長する」ことにカネを貸すという事業であれば、死人に追い打ちは論外として、破産まで追い込むのもどうかと思う。

特に永江氏の論点として違和感を感じるのは「こんな奴らは奨学金がなくても破産する」というくだりであろう。私は、奨学金がなくても破産するような人を、さらに奨学金で追い詰めるのはむしろ問題だと考える。