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だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

手段の正当性

何かを行おうとするとき、正しいやり方でやろうと考えるのが一般的です。
しかし、正しい結果にたどりつきさえすれば、間違ったやり方でもいいのではないでしょうか?

たとえば、山に登るとき、正しい装備、正しい登山ルートで登っても、遭難するときはします。
しかし、間違った装備、間違った登山ルートで登っても、登頂できるときはできます。

この場合、遭難した人と登頂できた人は、どちらが正しいでしょうか?

医療の世界には手段の正当性にこだわる人がいます。
彼らは、間違った手段(正当ではない手段)を決して許しません。
時に、「トンデモ医療」「ニセ医療」といったレッテルを張って彼らが「間違った手段」と認定したものを、激しく攻撃することすらあります。

彼らの立場から言えば、正しい手段なら人が死んでも構いません。訴えられませんから。
子宮頸がんワクチンは国が認めたものだから、接種して女子中学生が死んでもへっちゃらです。

一方、間違った手段で人が助かっても、医者は失敗した場合のリスクを負うだけでうまみがありません。
使えば効果があるとわかっている未認可薬があっても、彼らは決して使いません。
彼らは自分の財布の中が重要で、患者の命は二の次です。

だから、彼らは手段の正当性にこだわります。

正当な手段を用いて救命率が上がるならまあ構いません。
しかし、正当な手段を用いていないというだけの理由で、効果を上げている医師や治療家を「トンデモ」と貶めるのはいかがなものでしょうか?

効果がないとハッキリわかった治療法を貶めるのは構わないと思う方もいるかもしれません。しかし、これにも実は問題があります。

そもそも、「ない」ことの立証はとても難しいのです。「なさそう」なことを積み重ねて「かなりありえない」とは言えたとしても、「ない」ということは決して言えないのです。

たとえば、間違っている(と思われる)やり方、たとえばホメオパシーを貶めたとします。
現時点で効果がないというとはいえるかもしれません。しかし、ホメオパシーが将来的に発展して何か劇的な効果をもたらすようになる可能性は皆無ではありません。

現時点までに得られている証拠だけをもって、一方的にそのやり方を断罪するやり方は、将来性の芽を摘み取っている可能性があるということを忘れてはなりません。