老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

若者って本当に損なの?いっしょに検証!公的年金!


世代間格差の正体~若者って本当に損なの? | いっしょに検証! 公的年金 | 厚生労働省

俺は、今から遡ること30年前の中2のとき、社会の授業の小テストで、ある難問に頭を悩ませていた。

来るべき少子高齢化社会を解決するのに、どのような政策が必要ですか?

 真剣に考えた。考え考え抜いた。苦渋のすえ、俺の出した答えはこうだった。

姨捨山を復活する

これしかないと思った。だが、答えは×だった。

正解だった人の答えを見せてもらうと「高齢者福祉を充実する」とか、眠たいことを書いていた。子供ながらに「財源は?」と思ったことを覚えている。

「あなたがお金持ちになるにはどうしたらいいですか!?」

「社長になる!」  

そんな感じだ。アホかと思った。

上記の事件から10年ほど後、俺は某大企業に入社した。それからしばらくして、上の問題を解決しようという機運が持ち上がった。「高齢者福祉を充実する」なんていう、答えになっていない答えが実は正解ではなかったという事が、自分以外の人間も徐々に理解し始めてきたと思った。いい兆しだと思った。

そして、自転車操業である年金の仕組み自体がダメなんじゃないのという話になり、日本版401kといわれる確定拠出型年金の導入も言われた。そっからさらにしばらくして小泉(純一郎)政権となり、後期高齢者制度みたいなものができた。

俺の「姨捨山構想」はぶっ飛びすぎていて理解されなかったが、今優遇されすぎている老人医療を現役世代波にするだけで膨大な額の税金が節約できるという事がわかった。そうそう、俺の言いたかったのはそんな感じだよ、という話である。

介護保険もある意味進歩だと思う。40歳以上限定、本当は60歳以上限定にして欲しいところだけど、同世代同士で補い合えばいいのだ。金持ちの年寄りが貧乏の年寄りを養う。とても理に適っている。姨捨山が作られたら、老人同士仲良く力を合わせて生き抜けば、現行世代からお金を頂戴しなくてもいいじゃない。

貯金がしこたまある老人に年金を払っているのも意味不明だ。年金は「年取って食っていけなくなること」に対する保険なんだから、お金がある人には払わなくていい。そういう思想にすれば、少子高齢化問題なんて解決するのだ。

だが、世の中の人はいつも俺よりアホで、「高齢者福祉を充実する」なんて眠たいことを正解とするようなとぼけたヤツが社会の教師をしていたりする。本当の正解を見抜く力もないヤツが社会を教えているのだから世も末だ。

だから、年金問題も財政が破綻するまでどうしようもないのだろう。ハイパーインフレが起きれば、自動的に年寄りの財産はゼロになり、「若さ」という財産を持つ若者が逆転するわけだから、今の若者が選挙など行かず、一番手っ取り早くハイパーインフレにしてくれそうな自民党が政権をとることを放置するのも理解できる。

ハイパーインフレこそ、ある意味最強の姥捨て山かもしれない。

財産がゼロになっても、若者は労働して何とかできるけど、年寄りにはどうしようもないのだから。

 

IPAは、過去に誤った教育をしていたことを謝罪・訂正すべき

IPA 独立行政法人 情報処理推進機構

大昔、情報処理1種、2種とか言っていた資格を作ったのが、この団体の前身である。

以前の上司がここの「プロジェクトマネージャー」の資格(結構難関)を持っていたのだが、プログラムのひとつも作れない「なんちゃってプロマネ」だった。

最近ではCodeIQとかpaizaといったプログラム力判定サイトがあったりするが、当時はそんなものはなかったので、意外と資格がモノを言った時代があった。

この元上司もプロマネの資格を取ったおかげで(システム開発が分からない)上司からの受けが大変よくなったと大喜びしていた。しかし、彼のシステム開発力が1mmでも上がったわけではない。

思えば、情報1種・2種にしても(俺は両方持っていないが)、勉強すればプログラムが出来る・出来ないは別として誰でも取れると思う。ただ、大昔(コンピューターを仕事にしたいと言うと怪訝な顔をして「もっとまともな仕事にしろ」と説教された時代)はこんな変わった資格を取るということ自体がモチベーションとみなされ、素養があると判断されたと思う。

そこからしばらくたったちょっと昔(10年位前)、資格は上記のような「自分という人材の価値をアピールするための道具」に成り下がってしまい、プログラムが出来る・出来ないの判定に使われなくなってしまった。

で、まあそれは業界の総合認識なので、上の元上司がSI業者に「プロマネで働かせてくれ」といっても経験がないのだから一蹴されるのは分かりきっているのでいいのだが、困るのはこの元上司はこの顛末からも分かるとおり、立ち回りがたいへん上手で今割と高い地位にいる。

で、彼が言うのである。「SEはプログラムの設計図(要件定義書)を作成し、PGは設計図どおりにコードを打ち込むだけの、まあいわばキーパンチャーのようなものだよ」。「ちなみに私はPM。システム全体のとりまとめをする、いわば司令官だね。はっはっは!」

ま、俺にしてみればけんか売ってるのかといいたくなるのだけど、これってIPAの教科書に書いてあったことをそのまま受け売りしているんだよね。

ということで、過去に誤った教育をしていたことをIPAは反省し、訂正して欲しいと思っている今日この頃である。

あけまして、めでたい。

2015年になった。

いわゆる新年を迎えたというやつだ。はてな版「だいぶつのブログ」としては初の年越しである。

まあ、とりあえずめでたい。

ブログを書き出して毎年思っているのであるが、年末年始はアクセスが多い。

特に年始は暇だからだろうか、アクセスがにわかに増える傾向がある。

テレビをつけても面白い番組をやっていないということもあるだろう。

まともなブロガーならそれを狙って記事をアップするのだろうが、私はまともなブロガーではないのでそれほどマメではない。

とはいえ、新年早々このような拙いブログを開いてくれる人に感謝の気持ちがないではない。

今年も頑張って「月1本」くらいのペースでは記事をアップしたいと思っている。

(無論、この記事は含まない)

とはいえ、思っているだけなので実現するかどうかはわからない。

では、今年もお手柔らかにお願いしたい。

「性格の悪い人材」と「尖った人材」

最近よく言われる「尖った人材」ですが、大前研一氏が以下のような記事で盛り上がっていました。


「性格の悪いやつから採用しろ」 大前研一氏、マニュアル人間しか採らない日本企業に警鐘 | ログミー[o_O]

なんとなく私にはスッと理解できたのですが、NewsPicksなどで見ると「尖った人材は必要だが性格の悪いやつはいらない」とか書かれていて、「あれ?」と思いました。

ああなるほど、普通の人はそういう風に思うのね、と納得したのは数分考え込んでからです。

私が思うに、「性格が悪い」というのは多分言葉のあやで、「周囲から『性格が悪い』と見られがち(だが本人は別に性格悪くない)」ということなんだと思います。

私のイメージ的には、この前ノーベル賞を受賞した中村修二博士なんかは典型的な大前研一氏の言う「性格の悪いやつ」ということになるんじゃないかなーと思います。性格がよければ、日亜化学を飛び出すこともなかっただろうし、今ごろ日亜化学の重役として活躍していたことでしょう。

でも「性格が悪い」からそりの合わない経営陣とまぁまぁ的にやっていくことは出来ず、会社を飛び出したのでしょう。

いつの時代も経営陣は勝手なものです。中村修二博士のような革新的な発明を実現できる能力を持ち、なおかつ自分の手ごまとして思い通りに動かせる、そういう人材を求めます。それが今経営者たちが求めている「尖った人材」とやらなわけです。

でもそんなの滅多に共存しないんですよね。普通共存しない。尖った人間は癖があって協調性に難があるし、協調性の高い人材(コミュ強)は能力的に足りない(一人で会社を興してやっていく能力も度胸もない)。そういうことなんじゃないかと思うわけですよね。

まあ、こういうことも私が自分自身が「性格悪い」と思われてるんだろうなと思っているから、わかることなのかもしれません。

ちなみに、性格が悪くて有能な人はたくさんいますが、性格が悪くて無能な人はそれ以上にたくさんいます。

なので、まあ一概に性格の悪い人を採用するのはどうなんだろうなーという気はします。経営者のポリシー次第でしょうね。

直感と理性のバランス

孫正義がなぜスゴいと思うか。アリババへの投資で日本ではダントツの大金持ちになったというのももちろんあるのだけど、それ以前の問題として、彼の行動には裏づけがないように見えることが多い。

たとえば、1年ほど前に彼は福岡のM-TOWERというビルにBloom Energyという会社の「エナジーサーバー」といわれる燃料電池発電機を導入した。日本初の事例ということでちょびっと話題になったが、話題にしている人の大半が「これはどういう理由で、どういう投資対効果で導入されたものなのか」ということが全く理解できていなかった。

人によれば「孫正義は何でも新しい物好きだからに過ぎない」とかいう批評を下してしまったりもする。まあ、それもある程度事実なんだろうが、ちょっと違う気がしている。

俺は今仕事で燃料電池発電機をどうこうしようかと構想している最中だ。やろうとすることは全部、孫正義に先にされている。

すごいことを続々とするのだが、Yahoo!BBにしても到底元が取れるとは当時の人は思わなかっただろう。ネット銀行ビジネスにしてもそうだ。手数料をほとんど取らない銀行が儲かるのだろうか?SBパワーによる太陽光発電ビジネスにしてもそうだ。

なぜスゴいのか。彼の中では、その判断は正しいに決まっているのだ。いろんな会社で働いている人がいると思うが、だいたいトップは「用心深い」ことが多いと思う。むろん、孫正義も彼なりの意味で「用心深い」のだと思うのだが、どこかでたがが外れることがある。

企画の仕事をしている人なら、誰でも一度は「その企画の根拠データを示せ」とか言われたことがあるだろう。「リスクはないのか?」とかも。でも、リスクのない事業なんてないし、根拠データで100%正しいと示せる企画なんてすでに誰かがやってますよと。ある程度のるかそるかがあるから企画なんだよと思ったことがあるだろう。

まあ、大半の「企画マン」はそういう風潮に飲み込まれて、データ集め・小奇麗な資料作りが得意なだけのサラリーマンに成り下がってしまう。内容はどこかで見たようなものの寄せ集めで、新しさなどない。

俺は、前の会社に入社したときのパソコン事業部の企画部長(事業部長兼務)に研修で教えてもらった「企画の『企』の字は『企てる』」というフレーズが、いまだに頭にこびりついて離れないような人間だから、そんな風に流されるのは嫌だと思っていた。

IT技術者への夢破れ企画マンになれと言われた以上、企画マンとしてちゃんとやっていきたいと思っていたし、今でもその思いに変わりはない。ただ、方向性としてはだいぶシフトし、IT技術を軸に製品全体のライフサイクルを見れる「ITアーキテクト」が自分の天職であると最近では思っている。

それを体現しているのが孫正義なので、すごいと思うのかもしれない。

俺もまだまだ、これからだと思いたい。