だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

人を騙して金を儲けるのは醜い

白状してしまいますが私は人を騙して金を儲けたことがあります。昔、トレードの講師をやっていたのですが、その時「あるトレード結果」を弟子の方々に伝えていませんでした。

トレードの理論自体はしっかりしたもので、嘘はありません。私が「騙した」と言っているのは「私自身がトレード理論を無視したトレードを行い、結果として負った大損」について、弟子の方々に伏せていたということです。

理論自体は正しいのですが、私がそのような大損を負ったということを知っていれば、そもそも弟子の方々は弟子にならなかったかもしれません。

そういう意味では、授業料を「騙し取った」と言えるかもしれません。

これは私の恥ずかしい過去ですが、弟子の方々には伝えていません。これは、理論自体に間違いはないということと、私のトレードミスは「理論を逸脱する方法によって生じたものだから」という言い訳に基づいています。

しかし、嘘は嘘です。人は騙せても、自分は騙せません。私は、一生この負い目を負って生きていくしかないのです。

さて、ネット上で炎上商法についていろいろささやかれて久しく、キングコング西野氏の起こしたネット騒動もその一端として本来であればスルーしておくべき内容でした。

mistclast.hatenablog.com

しかし私は今回、盛大に絡んでしまいました。

それは、私自身に小さい息子がいるのですが、最近絵本を読み聞かせてあげているのですね。で「いい絵本はないか」という物色を時たましているわけですが(基本的には書店でしているのですが、たまたまネットで)、その際にキングコング西野氏の絵本についての件がホッテントリ入りしていたので読んでみたわけです。

私自身は西野氏に対してはポジティブでもネガティブでもなく、ニュートラルな立ち位置だったので、真面目に記事を読んでいました。この記事です。

lineblog.me

たしか私はこの記事にブコメをつけようと最初思ったのですが、面倒になった、あるいは西野氏の狙いが透けて見えたのか、スルーすることにしました。

そして、その後にこの記事をみました。

lineblog.me

私は読み通りだったのを確認したので、この記事に引用されている「ランキング3位」の「せいめいのれきし」を息子に買ってあげて、昨日読ませました。

あとで詳しく考証されていましたが、これはよくできた「騙しによるマーケティング」ですよね。

で、思うのですが(最初の記事を見たときから思っていたのですが)、「自分の息子を食わすために炎上芸人にでもなんでもなってやる!」というイケハヤ氏は私は今では尊敬すらしているのですが、翻って西野氏は「小汚い炎上商法を使って、私たちの息子たちを騙して本を売ろうとしている」わけですね。

絵本自体はいい出来なのかもしれませんが、プロデューサーのマインドがなー。

ま、宮崎駿氏も人間性最悪といううわさも聞きますから、できたものがよければいいのかな。

ようわからんようになってしまいました。

不謹慎な初詣

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

新春ということで初詣の話題なのですが、興味深いニュースがありました。

www.j-cast.com

寺がベビーカー自粛のお願いをしたという話だったのですが、その理由が

また、ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。そこで寺は優先通路を通れるのは押している1人だけ、という制限を設けた。ところが、ファミリーは2手に分かれて参拝することになり、先に参拝を終えたベビーカー組の中には境内近くで合流のため待機する、ということが起こった。

 (上記リンクの記事より引用)

という、不謹慎な理由でベビーカー優先を悪用していた輩(いわゆるDQN)の仕業であったということです。

コンビニの車いす駐車場にも、明らかに車いすの人が載っていそうにない車に「車いすのステッカーだけが貼ってある健常者の運転する車」が停められていることがままあり(というか、最近では停めてないことのほうが珍しかったり)、神経を疑っていたのですが、その延長線上のことだったようです。

不思議に思うのですが、この人たちはいったい何のために初詣に来ているのだろうか?ということです。遊園地のアトラクションならまだわからないではないですが、初詣というのは別に楽しいことではありませんよね。一種の「行事」として、イヤイヤ正月早々行列してお参りしているわけです。

いったから何か面白いことがあるわけでも、お金が儲かるわけでもございません。

「ご利益を祈念するため」に行くわけですよね?賽銭の金額の多寡で得られるご利益が変わるわけでもございません。

一方、そういう「ルールを悪用して」初詣をするというのはどうなんでしょうか?過程がおかしくても結果が正しければいい?いやいや、初詣なんて「過程そのもの」ではありませんか。「悪いことをしてまで行くようなもんじゃない」でしょう?

コンビニの車いすエリアに駐車しているDQNカーにしてもそうです。どうせ不法にとめているんです。「なぜ車いすステッカーを張ってあるんだ?」そんなもの貼っていようがいまいが、やっていることが不法に変わりはありません。それならいっそ、そんなもの貼らずに止めたほうがまだ潔いと思うのですよね。

「行為の矛盾」に気づいてほしいものですね。

 

「変われない人」と「変われる人」

私は「変われる人」です。

自分自身を変えてゆける人間です。

だから、今までの死地をことごとく乗り越えてここに存在しています。

ダーウィンは言います。

「生き残るのは、強い種ではない。変化に対応できた種だ」

私は、自分自身の中に、これまでの生物誕生以来、様々な難局を「変化することによって」乗り越えてきたDNAが流れていることを、ひしと感じています。

本来、人は変われます。

しかし、年を取ると「変われなくなる人」がぼちぼちでてきます。

同じように「変わってきた」先祖のDNAを持っているのに、なぜ彼らは変われなくなってしまうのか。私にはわかりません。

私は「変われるから」なのです。

年を取って「変われなくなった人」は「老害」と呼ばれます。

老害」は、「経験」という常套句を用いて、自身の正当性を主張し、あまつさえ他人の人生に干渉をしようとします。

干渉された人の中には、本来「変われる人」から「変われない人」に変化してしまう人が少なくありません。

でも考えても見てください。20億年の生命の歴史において、数十年ぽっちの人生を「経験」などと声高に主張することの愚かしさを。

私のこの細胞の中に息づく「変化のDNA」は、そんなものには一切惑わされません。

こちとら、20億年です。数十年ぽっち、なんだっていうんだっていう話なんです。

私は、これからも変わり続けます。死ぬ直前まで変化し続けます。

変化をやめることは決してしません!

それが、生命体としての結論です。

量子コンピューターは断じてアナログコンピューターではない

大昔に、アナログコンピューターというものが存在したそうです。

正確には「アナログ計算機」というべき様なものであり、計算尺を電気仕掛けにしたようなものだったと私は理解しています。

そして、最近ムーアの法則が限界を迎えつつある中、脚光を浴びている量子コンピューター。この量子コンピューターが「アナログコンピューターである」というトンデモ説を語るお年寄り(というにはもうちょっと若い)人が増えてきているように思います。

日経コンピューターのシニア記者が書いたと思しき記事にもそのような記述があったようで、ますますお年寄りの誤解に拍車をかけることになってしまいました。

この誤解を正すには、まず「コンピューターとは何ぞや」ということを書かなければなりません。

私が「コンピューター」というとき、それは「ノイマン型コンピューター」を指しています。多くの人もそうだと信じます。そして、ノイマン型コンピューターは当然デジタルコンピューターであり、「アナログ型の」「ノイマン型コンピューター」など存在しません。

ノイマン型コンピューターの特徴は「チューリング完全性」です。完全なチューリングマシンである、つまり「ありとあらゆる計算を完全に実行できることが保証されている」ことが特徴です。

アナログコンピューターは当然チューリング完全ではありません。したがって、アナログコンピューターはコンピューターとは言えません。

ところが、量子コンピューターを語るときにその定義が、ちょっと変わってしまいます。なぜなら、量子コンピューターは(おそらく)チューリング完全ではないからです。

かといって、「アナログコンピューター」=「量子コンピューター」と結論してしまうのは早計に過ぎます。例えば、「東京生まれではない」からといって、「北海道生まれの人」と「九州生まれの人」が同郷である、と言えるでしょうか?

 

言い換えると、「アナログコンピューター」と「量子コンピューター」の類似点は「チューリング完全ではない」という点のみであり、これを持って「量子コンピューターはアナログコンピューター」などという暴論を認めるなら、血液型がA型以外の人は皆同じ血液型と言っているのと同じことです。

ただ、量子コンピューターチューリング完全ではありませんが、アナログコンピューターと異なり計算単位を「量子」=「離散的な値」として持つことはほぼ間違いないので、どちらかというと「デジタル」な計算機です。とはいえ、現在一般的に浸透している「コンピューター」=「ノイマン型コンピューター」ではないことは明らかなので、「デジタルコンピューター」と断言もできません。

 

わかりにくい概念がゆえに、我田引水の理論を展開する人が多いのもやむをえませんが、論理的に考えればわかることだと思っています。

ノセボ効果はホメオパシーをダメにしたか?

www.buzzfeed.com

子宮頸がんワクチンの禁止への動きで、標準医療が揺れています。

上の記事を要約すると、

  • 子宮頸がんワクチンには効果は必ずある
  • ノセボ効果(思い込みによって作用ではなく副作用が現れる、プラセボ効果の一種)でワクチンの副作用が出ている

ということのようです。

ここでふと思うのが、ホメオパシーなどの代替医療に対する、標準医療サイドからの激しい攻撃です。何度も書いていますが、私はホメオパパシーの関係者ではありません。単なる、医療情報アナリストみたいなものです。

さて、ホメオパシーへのネットや論文などを通した「激しい攻撃」で、ホメオパシーの効果が一切スポイルされた事実はない、と言えるでしょうか?

 

まあ、それが言いたかっただけなのですけど、プラセボ効果やノセボ効果といった不思議なことに対して、

  • なんでそんな効果があるのかは知らん
  • だけど都合の悪いときはそんな言葉は隠します
  • 必要になったら、そんな言葉も持ち出します

標準医療ってそんな感じなんですよね。私にとっては。

こういうのをまじめに掘り下げていくと「これはひどい」「エセ医療」なんてタグがたくさん作んでしょうけど、めんどくさいので今日はこれだけです。