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だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

難産は人間の宿命である・・・に対するアンチテーゼ

難産という人間の宿命 −自然出産に隠れたマゾヒズムと優生思想− - バッタもん日記

難産は人間の宿命である、というテーゼを掲げた点には5点を上げたいが、内容としては3点くらいの記事である。ただ、難産は人間の宿命であると言うテーゼには感心したので、アンチテーゼを書く。

出産と言うのは、人間の繁殖能力である。

私は子供のころ「地球(テラ)へ」という漫画に割とはまった(数年前にアニメ化されていたのでそれを見た人も少なくないと思う)。これは未来世界において、すべての人間が繁殖行為をコンピューターに制御され、誰もが試験管ベイビーばっかりになった世界(とそれを破壊しようとする主人公)の物語なのだけど、その影響もあってか「繁殖能力を奪われる」=「種としての敗北」的な世界観を私は持っている。

(ちなみに上記世界では、コンピューターの管制を免れた人たちが自然繁殖をした結果、強力な超能力者を生む。強力な超能力者の誕生を恐れていたコンピューターが自然繁殖を抑制したと言うオチであった)。

なので、いかなる形であっても人間が人間だけで出産できる能力を保持し続けることはとても重要だと考えている。たとえ苦しくてもだ。苦しむことは本質ではない。しかし、苦しまないと手に入らないものがあることも事実だ。マラソンの世界チャンピオンは、苦しまずにその地位を手に入れようとは思わないだろう。NATROMがもし一流の医学研究者を目指すなら、苦しまずにはなれないだろう。苦しむために苦しむのではない。目標の実現のためなら血も流さねばならないと言うだけのことだ。

「苦しまなくてすむことをわざわざ苦しい思いをしてするなんてマゾヒストだ」なんていうのは、勇者の剣を傷ひとつ負わずに手に入れられる(ゲームだから)イマドキ世代の驕った発想だと言わざるを得ない。無痛分娩なんて言葉もなかった神代の時代、テメーの御先祖様が痛いのを我慢して産んでくれたからテメーが存在してるんだって言う、自己のルーツに対する認識が甘いとしか言いようがない。テメーの御先祖の出産にタイムマシンで立ち会えたら、「よう、このマゾヒスト!」っていうのか?

私は出産への医療の介入を忌避しているわけではない。過剰な医療介入の結果、医療の介入なしに人類が出産できなくなることを危惧しているに過ぎない。医療の定義はいろいろだと思うが、人間が本来可能なことを医療で肩代わりしてしまうことは、積み重なれば最終的に人類から繁殖能力を奪うだろうと思う。

人類が繁殖能力を奪われると言うことは、つまり人類と言う種の絶滅を意味する。それはつまり、われわれが今営々と築き上げている人生や子孫の人生すべてを否定することになる。これは選民思想では断じてない。むしろ逆に、人類愛の深さゆえの思想だと思ってもらいたい。

実際にどうだい?過剰な抗生物質の使用で耐性菌が生じて、最近の感染症はもう手に負えないって言うじゃないか。NATROMなんて二流の医者は、そういうこと決して記事にはしねーけどよ。これはなんだい?医療の問題じゃねーのか?「その薬の名は・・・。ペニシリンと申します!」ってやりすぎたんだよきっと。医療じゃなくて医療の使い方の問題?まあ知らねーけど。

自然分娩派なんて医学の根底を否定してるんだからそりゃー医学サイドからみりゃー非合理的なことも多かろうよ。NATROMみたいに、チョコチョコっと数字持ち出してきて「ハイ論破!」ってするのも簡単だろうよ。でも、こっちにもそれなりに「理(ことわり)」ってものはあるんだよ。「論理」は「理」の一部であってすべてではないんだ。

だから前から言っているだろう。正反対のものをこそ、理解する努力が必要だってよ。まあ、難しいんだけど。

弁証法って日本じゃはやらねーよなー。