読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

だいぶつのブログ

いまさらなことをいまさらに語ります

「性格の悪い人材」と「尖った人材」

最近よく言われる「尖った人材」ですが、大前研一氏が以下のような記事で盛り上がっていました。


「性格の悪いやつから採用しろ」 大前研一氏、マニュアル人間しか採らない日本企業に警鐘 | ログミー[o_O]

なんとなく私にはスッと理解できたのですが、NewsPicksなどで見ると「尖った人材は必要だが性格の悪いやつはいらない」とか書かれていて、「あれ?」と思いました。

ああなるほど、普通の人はそういう風に思うのね、と納得したのは数分考え込んでからです。

私が思うに、「性格が悪い」というのは多分言葉のあやで、「周囲から『性格が悪い』と見られがち(だが本人は別に性格悪くない)」ということなんだと思います。

私のイメージ的には、この前ノーベル賞を受賞した中村修二博士なんかは典型的な大前研一氏の言う「性格の悪いやつ」ということになるんじゃないかなーと思います。性格がよければ、日亜化学を飛び出すこともなかっただろうし、今ごろ日亜化学の重役として活躍していたことでしょう。

でも「性格が悪い」からそりの合わない経営陣とまぁまぁ的にやっていくことは出来ず、会社を飛び出したのでしょう。

いつの時代も経営陣は勝手なものです。中村修二博士のような革新的な発明を実現できる能力を持ち、なおかつ自分の手ごまとして思い通りに動かせる、そういう人材を求めます。それが今経営者たちが求めている「尖った人材」とやらなわけです。

でもそんなの滅多に共存しないんですよね。普通共存しない。尖った人間は癖があって協調性に難があるし、協調性の高い人材(コミュ強)は能力的に足りない(一人で会社を興してやっていく能力も度胸もない)。そういうことなんじゃないかと思うわけですよね。

まあ、こういうことも私が自分自身が「性格悪い」と思われてるんだろうなと思っているから、わかることなのかもしれません。

ちなみに、性格が悪くて有能な人はたくさんいますが、性格が悪くて無能な人はそれ以上にたくさんいます。

なので、まあ一概に性格の悪い人を採用するのはどうなんだろうなーという気はします。経営者のポリシー次第でしょうね。