日本は宗教に寛容とか言う世迷いごとが騒がれている。
個人的には、もちろん日本が宗教に寛容などとは思っていなくて、むしろ狭量であると思っている。
以前別のブログでも取り上げたが、とあるQAサイトに、若い母親が「義母が娘に宗教行為を強要するので困っている」と質問した事件があった。(発言小町ではない)
内容はというと、おじいちゃんの仏壇に、毎朝毎晩、手を合わせること。この母親本人はクリスチャンとのことだった。
この一時を見てみても、とても宗教に寛容とは思えない。仏壇に手を合わせるという、宗教というよりむしろ慣習的な行為すら否定するようなこの国の人間がいるのだ。どこが宗教に寛容なのだろう?
本で読んだ話で恐縮だが、こんな話がある。
イスラム教徒は豚を食べない。(不浄の動物だから)
豚を調理した調理器具は永久に「不浄の調理器具」となり、それで調理されたものも「不浄の食べ物」となるので、豚を料理する厨房で作られたものは豚以外のものも食べられない。
ヒンズー教徒は牛を食べない。(神の使いだから)
インドにはイスラム教徒・ヒンズー教徒が共存している。
そして、レストランには2つの厨房があり、1つはイスラム教徒用、1つはヒンズー教徒用として使われている。
イスラム教徒とヒンズー教徒は、お互いに食べられないものを食べながら、楽しく談笑している。
これが真の宗教的寛容ではあるまいか。
日本人は、この話を聞いたときに「非常識だ、おかしい」と思うはずだ。
たとえば、眼前で人肉を食べている人と楽しく談笑できるだろうか?
イスラム教徒は、人肉と豚肉のどちらかを食え!と言われると、やむを得ず人肉を食うという。
なのに、眼前で豚肉を食うことなど許容できるのか!?
と考えるのはしごく日本人的な考え方であり、宗教というのは普通は(世界的には)ものすごく「個人的なもの」なのである。
豚を食うな、と神に言われたら、自分は豚を食べない。それが真の宗教である。
自分が豚を食べないから、ひとつ君も、豚を食べないでおこうじゃないか?と言ってきたイスラム教徒を私は知らない。
クジラ・イルカを食うなというアメリカ人なら知っているが。
押し付けがましいことを「寛容」とは言わないのだ。