老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

子育てはマジでキツい

妻子連れで縁もゆかりもない九州の地に転職してきて半年以上が経過しようとしています。
そんな中で感じることは、現代社会において「子育て」というのは本当にいわゆる「無理ゲー」(クリアできないゲームのこと)だよなと感じずにはいられません。
 
奈良では4歳になればだれでも幼稚園に入れます。サラリーマンの子供は保育園、専業主婦は幼稚園。これが不文律でした。
 
うちは桜井市にある私立の「さくら幼稚園」に入れていたのですが、発達に遅れのある息子を幼稚園に入れることに少し戸惑いのあった私たち夫婦に学年主任の先生(と言っても私より若い)が「大丈夫ですよ!」と太鼓判を押してくれ、そして3歳児教室から年少に上がった時に先生が変わって息子が問題行動を取り出した時も幼稚園の教員総出で対応してくれ、息子も先生のことを好きになり、また年長学年の園児が年少学年や3歳児教室の園児の面倒を見てくれるので、お兄ちゃん、お姉ちゃんとわが兄弟のように慕い、息子は凸凹はあるもののけたたましい勢いで成長してくれました。
 
幼稚園の写真を今見ると、息子は笑顔にあふれています。それを見て妻は泣いていました。
 
しかしここ九州では専業主婦の子は就学(小学校に上がる)まではほったらかしというのが割と普通であるという認識です。
 
福岡市などは2016年には公立幼稚園を全廃すると表明していますし、私が以前住んでいた筑紫野市にも公立幼稚園はありましたが事実上は入れませんでした(特定地区=おそらく同和地区限定)。では私立幼稚園が充実しているのかというとそうではなく、数が少なく園児も園が恣意的に選り好みしている状態で、発達に少し遅れのあるわが子は受け入れ可能園がほとんどありませんでした。
 
市役所の児童科なんかに相談すると「幼稚園は義務教育じゃない」と言われるのです。
 
2ヶ月くらいほったらかしにされた結果、一見3歳児相当くらいまで成長したはずの息子が(実年齢は4歳弱)、見る見る間に1歳児相当レベルまで退化。
 
仕方なく近くにあった私立幼稚園に安くはない授業料を払って通わせたのですが、半ばいじめに近いような状態に遭ったようで、2か月で登園拒否に。おまけに対人恐怖になってしまいました。いまは幼稚園をやめさせています。すっかりフリーランス未就園児と化してしまいました。
 
そして福岡市に越してきて、受け入れてくれる幼稚園など当然なく(健常児ですら厳しいそうだ)、一縷の望みを託して連絡した障害児療育センター「あいあい」で紹介してもらった「しいのみ園」というところに入園できそうなのですが、福岡市と言っても南区なのでとても遠い。今のところからだと1時間はかかります。
 
そんなのに電車とバスで毎日通えるのかと、妻は不安でいっぱいの毎日を過ごしています。それでも、未就学で何の療育もせずほったらかしというのには耐えられないので、我慢して通わせようと思っているようです。毎日のように「奈良ならこんなことにはならなかったのに…」と愚痴られています。
 
愚痴られるのは構いませんが、息子の成長が本当に心配です。「しいのみ園」がいいところであればいいのですが。
 
昔のような地縁社会であれば、上記の「さくら幼稚園」のように近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんに浴してもらって成長するということができます。
 
しかし、ここ福岡は転勤族が大半を占め、地縁社会という語とは全くかけ離れているのが実情です。おまけに育児支援・発達支援についても後手後手になっており、これから子育てしようという人には到底すすめられない場所になってしまっています。
 
しいて勧めるならお隣の春日市ですね。
 
locust0138このクソ野郎は「発達障害が増えたのは病院での出産が増えたからだ」などと述べている。 http://daibutsuda.blog26.fc2.com/blog-entry-816.html /福岡が嫌いならさっさと奈良に帰れよ。心の病気を抱えた人間が無理をするな。 2014/04/04Add Star
 
 
これはこれは。ちきりん批判で大変叩かれていたlocust0138さんじゃありませんか。ようこそ、はてなブログまで。私も村民の仲間入りしたんですから、そんなに袖にしなくてもいいんじゃないですか?
「福岡が嫌いならさっさと奈良に帰れ」。まぁ、教科書通りの福岡人の対応みたいなセリフですね。まさか福岡人ですか?
福岡がよくなれないのは、そうやって自分の悪いところを素直に反省せず、他所のものの忠告を無視して「嫌なら帰れ」でやってきているのだということをわかってほしいものです。あなたのように、客や市民ではなく「お上」のほうばかり見ている商売人や役人が多く大変ですが、これからもがんばる所存です。
あくまで「お客様のため」の商品を作り続けるサラリーマンとして。