老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

ウサギとカメの物語

ウサギは思っていた。

「こんな勝負はバカげている・・・。」
 
ひょんなことから、村一番足の遅いカメと、村一番足の速い自分が競争をすることになった。
誰が企画したのかは知らないが、とにかくバカげている。勝負する前から結果は分かっている。自分は村一番速いのだ。負けるはずがない。
 
勝つとわかっている勝負をするのもばかばかしいし、負けるに決まっているのに出場させられるカメも気の毒だ。一度彼に言ってみた。
 
「こんな勝負、ヤメにしないかい?」
 
「・・・・。」
 
カメは無言で、その深遠な瞳の奥は何を考えているのか、全く手がかりすらつかめない。ただ、どうやら勝負を降りるつもりはないようだ・・・。厄介なことになった、とウサギは思った。
 
実力の拮抗している相手と勝負するならまだいい。しかし、今回はひどすぎる。勝つに決まっているのだ。この企画をしたヤツはカメをさらし者にしたいのか。自分にも村一番足が速いというプライドがある。勝負する以上、負けるわけにはいかない。
 
いろいろ考えたが、カメの真意も何もわからないまま、勝負の当日を迎えた。睡眠もばっちり、体調は最高。今日は人生で一番速く走れるぞと、ウサギは感じていた。カメは、相変わらず深遠な瞳で何を考えているのかわからない。
 
「もういい。」
 
こんなくだらない企画は自分がサッサと勝ってそれでおしまいだ。そう思った。スタートの合図がしたその瞬間、ウサギはスタートラインから消え去った。桁違いの速さ。そう、それがウサギなのだから。観衆には、スタートラインからのっしりとスタートしたはずのカメが、いまだ動いていないかに見える。
 
カメは大方の予想通りのそのそと、しかし着実にゴールを目指していた…。しかし、その次の瞬間、ウサギはすでにゴールラインの直前に到達した。その時、ウサギの脳裏にカメの深遠な瞳が去来した。ウサギは歩みを止めた。
 
ウサギは振り返ってカメのほうを見た。遠くから見ると動いていないようにすら見える。しかし、位置がスタートラインから変わっているところを見ると、動いてはいるようだ。しかしとてつもない遅さだ。遠いので見えないが、やはりあの深遠な瞳を保ち続けたまま、彼は歩いているのだろうか。
 
ウサギは何とも言えない気持ちになった。たった一歩だ。たった一歩ゴールに踏み込めばこのくだらない勝負は終わりにできるのだ。だが・・・。ウサギの脳裏には、あの深遠な瞳が焼き付いて離れなかった。この一歩を踏んでしまえば、何もかもわからなくなってしまう。どうして、彼は、この負けるに決まっている勝負を、のそのそと、あの深遠な瞳のままで歩き続けられるのだ。
 
正直わからなかった。知りたかった。そして、せめて彼の深遠な瞳がその間近に来るまでは、待っていようと思った。慢心して寝たふりをした。カメの反応が見たかったのかもしれない。
 
あるいはウサギには、ゴール直前までの駿足で、すでに勝負には勝ったと言えるかもしれない。だから、試合には負けてもいい。そういう気持ちがあったかもしれない。
 
寝たふりをすること1時間。カメはのそのそとゴールに近づいてきた。ウサギはわざと「ぐーう、ぐーう」と寝息を立て、カメのほうをチラと見た。彼の深遠な瞳には一寸の曇りもなく、寝たふりをしているウサギに腹を立てる様子も感じられない。ただただ、ゴール目指してのそのそと歩いている。
 
いつしか観衆から「カーメ!、カーメ!」とカメコールが起こっている。ウサギはまだ寝たふりをした。彼の真意を探っていた。わからなかった。ただ、潔いとしか思わなかった。そうして…。寝たふりをして考えているうちに…。カメはゴールを切った。
 
ウサギは負けたのだ。
 
ウサギは試合に負けてもまだ、カメの真意がわからなかった。カメは、試合に勝った後もその深遠な瞳を輝かせるだけで、ウサギをコケにするでもなく、ただただ、喜んでいた。
 
ウサギにはまだ彼の真意は分かっていなかった。だが…。彼がゴール前で最後の一歩を踏み込まず、カメが結果的に試合に勝ったことには、完全に納得している自分がいることに気付いた。
 
ウサギは「勝負」というものの本質に、ほんの少しだけ近づけたような気がした。