なぜ、頭の良い若者ほど、 プロフェッショナルになれないのか?:日経ビジネスオンライン
ブックマークコメントでも散々叩かれてるのでもういいかなという感もあるのだけど、Amazonのブックレビューを見ると絶賛している人もおり、俺的には「なぜ、頭の良い年寄りほど、こういう繰言が好きなのか?」という記事を書きたい。
この本で書かれていることは(読んでないけど)、だいたい想像はついて、要は「苦労しなければ知性は身につかない」「最近の若い者はすぐに楽して成功したがる」「もっとドサ回りとか職場の掃除とかしっかりしてからそんな話をしろ」みたいな話なんだろう。要は精神論だ。
余生が短くなった年寄りからしてみたら、自分が30年くらいかけてたどり着いた答えに若者が(ITの力とかを駆使して)3日くらいでたどり着いたりしたら立つ瀬がなく面白くないのはわかる。でもそういう時代なんだからしょうがないじゃん。東京から大阪まで8時間ほどかかった昔と違って、今は新幹線で2時間半でつくんだもん。それと同じだよ。
過去の企業経営とかでは得てして「企業秘密」とかいって売り上げとかの情報は末端社員には教えず、幹部社員だけで独占することになっている。しかし最近の研究では、そういう情報はみんなで共有したほうが経営効率が上がるとされている(ごく個人的な経験則では、能力の低い人ほどこういう企業秘密にこだわる傾向がある)。
俺的には企業秘密なんつったって賞味期限があって1年もたちゃーだいたい公知の事実なんだから、多少漏らしたって時間の問題というか、むしろ「いつバラすか」を考えておいたほうが建設的というか、そういう感覚なわけだが。頭の悪い人はいつまでも秘密にしておきさえすればいいとか思っていて困る。
昔から「石の上にも3年」とか「10年働いてからそんなことを言え」とか言われて育ってきただろうこの著者にしてみれば、そんなことはおとぎ話なんだろう。ビッグデータが科学研究の第4のパラダイムといわれて久しいが、産業革命にも等しいそのような動きに全くついていけていないこの著者は「過去の秀才」に過ぎない。
だいたいからして、「知性」ってなんやねん。「答えのないことを問い続ける力」とか言うけど、そもそも答えがあるかないかわからんから考えるんだろ。
「知識」は答えのあることに即答できる能力。とか言ってるけど、答えがあるかないかこの時点で仮定しているだろ。たとえば、こんな話を聞いたことがある。
ある、2人の「知的障害児」が、お互いになにやら大きい数字を言い合っていた。調べてみたら、それらは全て素数であった。
この2人は知的障害児なので、例えシナリオがあっても損な大きな数字を覚えることなどできないのである。これは何かね?知性かね?知能かね?たぶんこの本の著者には答えられないだろう。
まあ、お得意の「知性」で延々と考え続けてくれればいいと思うが。