老いぼれエンジニアには隠す爪がない

この時代に老いぼれを見たら、「生き残り」と思え…!

ネットでの議論はなぜ不毛なのか

議論と言う行為は、もともと相互理解を高めるためのものである。

相互の意見を理解しあい、より高次の真実に近づくためのツールである。

そのためには、お互い見識があったほうがよい。ネットのほうがお互い先入観を持たずに議論できるように思うのだが、実際にネットで議論してみるとそうでもない。

ネットでは、通常の対面の議論ではありえない、相手の人格否定などの行為が容易に行われるのである。これでは、まともな議論など成立しない。

人は、いつでも判断に根拠を求める。根拠は、たいてい「先入観」である。

たとえば、東芝が不正会計をした。「まさか、あの東芝が・・・!?」となる。

つまり、もともとその人は「東芝が不正会計などするわけがない」という先入観をもっていることになる。

ビッグデータがどうとか統計学が最強とかEBM(証拠に基づく医療)だとか、いろいろ記事がネット上にはあるが、読んだ人の99%はその文献にいちいちあたってはいない。「この人はいちいち文献を提示してるから、ちゃんとした人なんだな」という印象、つまり先入観を受け取るだけなのである。

こういうのは私は印象操作に他ならないと思うのだが、どうだろう?私は、こういうのが嫌いなのであえてどんな記事にも引用元を明示していない。真偽は、この文章を読んだ人がフィーリングで判断してくれたらいいと思っている。

そして、科学論文の世界でもそういう「インチキ引用」が可能であり、あまつさえその論文が英国の高名な科学誌に掲載されうると言うことを示したのが小保方晴子氏の事件であった。

「サドク」された科学論文ですらこうなのだ。ネット上に匿名で公開されている「科学記事まがい」の記事の正確性を妄信することは危険である。

なれば、最初から「うさんくさい雰囲気満点」の記事のほうが私は好きである。従って、引用はしないのである。

権威づけて無知な人に信じさせようとは思わない。

あえて権威づけず、信じてくれる人さえ信じてくれればいいと思う。

どこまで行ってもこのブログは、「私がこう思った」ブログである。

そういう意味では、NATROM帝国はすでに崩壊しているのである。

 

内的対話、ってなんやねん。

発達心理学とかを調べていると、自分がどの感覚優位なのを知りましょう!とか言うのがあって、やったわけだが。

「視覚優位」

「聴覚優位」

「身体感覚優位」

「内的対話優位」 

 の4種類に分類される。

私の場合、「身体感覚」と「内的対話」が同じくらいの比率で優位だった。

視覚・聴覚が劣位(苦手)。モノをちゃんと見ない、人の話を聞かない。

そして、それぞれに処方箋があるのだが、「内的対話」には処方箋がない。

ちょ、どの感覚優位なのを知って、どういう学習の仕方が効率的なのかを知りましょうってな話だったのに、内的対話には処方箋がないって・・・。

身もフタもない話だが、個人的には合点がいく。

昔から、私は人の言うことや本に書いてあることはまったく鵜呑みにせず、自分の中で「これだっ!」と思ったことしか覚えられないからだ。

ま、こういうタイプの人が大成すれば、アーティストになったりするんだろな。

大成しなかったけど。

本当に宗教に寛容な国にあるもの

日本は宗教に寛容とか言う世迷いごとが騒がれている。

個人的には、もちろん日本が宗教に寛容などとは思っていなくて、むしろ狭量であると思っている。

以前別のブログでも取り上げたが、とあるQAサイトに、若い母親が「義母が娘に宗教行為を強要するので困っている」と質問した事件があった。(発言小町ではない)

内容はというと、おじいちゃんの仏壇に、毎朝毎晩、手を合わせること。この母親本人はクリスチャンとのことだった。

この一時を見てみても、とても宗教に寛容とは思えない。仏壇に手を合わせるという、宗教というよりむしろ慣習的な行為すら否定するようなこの国の人間がいるのだ。どこが宗教に寛容なのだろう?

本で読んだ話で恐縮だが、こんな話がある。

イスラム教徒は豚を食べない。(不浄の動物だから)

豚を調理した調理器具は永久に「不浄の調理器具」となり、それで調理されたものも「不浄の食べ物」となるので、豚を料理する厨房で作られたものは豚以外のものも食べられない。

ヒンズー教徒は牛を食べない。(神の使いだから)

インドにはイスラム教徒・ヒンズー教徒が共存している。

そして、レストランには2つの厨房があり、1つはイスラム教徒用、1つはヒンズー教徒用として使われている。

イスラム教徒とヒンズー教徒は、お互いに食べられないものを食べながら、楽しく談笑している。 

これが真の宗教的寛容ではあるまいか。

日本人は、この話を聞いたときに「非常識だ、おかしい」と思うはずだ。

たとえば、眼前で人肉を食べている人と楽しく談笑できるだろうか?

イスラム教徒は、人肉と豚肉のどちらかを食え!と言われると、やむを得ず人肉を食うという。

なのに、眼前で豚肉を食うことなど許容できるのか!?

 

と考えるのはしごく日本人的な考え方であり、宗教というのは普通は(世界的には)ものすごく「個人的なもの」なのである。

豚を食うな、と神に言われたら、自分は豚を食べない。それが真の宗教である。

自分が豚を食べないから、ひとつ君も、豚を食べないでおこうじゃないか?と言ってきたイスラム教徒を私は知らない。

 

クジラ・イルカを食うなというアメリカ人なら知っているが。

押し付けがましいことを「寛容」とは言わないのだ。

 

お金を儲けるのは、実は簡単

私はイケダハヤト先生がブログを始めるはるか前に、デイトレードの講師をしていたことがあります。

まあ、結構授業料は高かったのですが、幸い何名かの方が弟子入りしてくれて、結構儲かりました。半年~1年くらい講師業をしていましたが、トータル100万以上儲かりました。

もちろん、違法になってはいけないので「儲かることを保証するものではありません」との断りつきではありますが、このとき私は悟りました。

ネットではお金を儲ける方法を売るのがもっとも楽に儲ける方法なのだと。

もうちょっと値下げして、月額課金くらいにして、もっとたくさん弟子をとるなりすれば、もしかするとそれだけで飯が食えたかもしれません。

しかし、私の気持ち的にはあまり潔い商売と思えなかったんですね。

情報商材ブームが巻き起こったのはその少し後です。

やはり、価値のある何かを提供してその対価を得たい。

もちろん、トレードの方法・ノウハウに価値がないということはないと思います。

ただ、それが絶対的に儲かるノウハウなら、それで儲けりゃいいじゃん!

個人カリスマトレーダーのBNF氏は、孫正義に資産の運用を依頼されて「人の金を運用するなんて絶対いやだ」と固辞しています。

講師料で食いつないでいるようなトレーダーは本物じゃありません。トレーダーは、トレードの収益で儲けるべきです。

トレードノウハウは、希望者にはタダで教えたり、ブログで公開してもいいわけです。

本当に儲かる方法なら、そのブログはカリスマブログになり、広告収益もそこそこ得られるはずです。

それが私の結論です。

プロブロガーも、価値のある文章を提供して対価を得るのはいっこうに問題ないと思います。

しかし、彼がしているのはアクセスを集める手法を目いっぱい使ってPVを収益に変える方法です。

プロブロガーを志して彼に弟子入りした人はさぞやガッカリしたでしょう。

彼が教えてくれるのは魅力的なコンテンツ作りのノウハウではないのですから。

なので、目標が「お金を儲ける」ことなら、簡単です。

良心を捨てさえすれば、お金なんて簡単に儲けられるのです。

追記

主旨が理解されていないようなので追記。

お金なんて簡単に儲けられます。のつづき

だから、ただお金を儲けることに頓着していても、うまく行かないのです。

ポリシーがなければなりません。何か、価値のあるものを世に提供し、その対価として受け取るものでなければ成りません。

宝くじで1等当たった人のその後の顛末を調べると、不幸になる可能性のほうがずっと高いそうです。

これは「価値のあるものの対価としてではない分不相応なお金」を得た代償でしょう。

価値のあるものを、人に感謝されるものを提供することを心がけたいものです。

ということが言いたかったのです。

アパート経営はどうだろう

何かビジネスを、といってもなかなかこれはというものが出てこない。

長らく、会社組織に安住していた弊害だろう。サバイバルスピリットみたいなものがすっぽりなくなっている。

何かテーマがあればあれやこれやとアイデアは出せる。

だけど、What is your business? と言われたときに、何を俺は生涯のビジネスにしたいんだろう?というのがスポッとでてこない。

いろいろ考えたのだが、なかなかウマいビジネス案が出てこない。結果、以下の3つくらいの案に収束してしまう。

1)賃貸住宅経営

2)デイトレーダー

3)電脳せどり

これらを軸に、ブログで情報を発信し、二次的に広告収入を得る。

たとえば、デイトレードだったら市場の情報を分析して発表するなど。

とか考えていたのだけど、まあ、すでにやっている人がたくさんいる。

デイトレーダーは以前少しやっていたが、リスク管理さえキチンと出来ればそれなりの収入は出せると思う(リスク管理のノウハウも、ある程度はある)。だけど、取引にスゴい集中力が必要になるので、情報商材屋さんとトレーダーのかけもちみたいな形にもっていかないと安定収益にはならないだろう。

電脳せどりも、以前普通のせどりをやろうと思っていたことがあって、その時にAmazonのアカウントを準備して、自分の本棚の要らない本を何冊か売ったことがある。結構たいへんだったがそこそこ手ごたえはあり、ガッツリ取り組めばまあ食っていけるくらいの収益は出せそうだった。今はAmazon FDAなんかもあるので、もう少し管理は簡単になっていると思うが、それだけ参入障壁は下がっているはずで、競合が多い。うまく隙間をついて仕入れするノウハウを確立できればまあまあいけそうな気もするが、これで一生食っていける気はしない。

賃貸住宅経営は、いい物件さえ見つかれば安定収益だと思うが、かなりレバレッジをかけないと食っていけるレベルにならないだろう。年率5%の収益を出せるとしても、1億円の物件が必要だ。しかも、10年は安定して収益を出せる物件でなければならない。

アパートローンの金利は意外と高く、最近では賃貸併用住宅というのもはやりつつあるようだ。これなら、自宅分の床面積が50%以上であれば、住宅ローンが使えて金利がかなり節約になる。最初の1~2年住んで、自宅部分もしまいには貸しに出してしまうとか言うのもありなのだったら、割とおいしいかもしれない。

とまあ、そんなことを考えていた。

なかなか、ウマい話はないものである。